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2004年12月15日 (水)

開いた金庫

 今日はやせるドットコムには関係ありません。冬の怪談です。
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 夜中にガバット起きて、今まで忘れていたことを急に思い出すことがないだろうか。浜田二郎も忘れていたことを思い出してしまった。それが原因で少し気分が悪くなり、とうとうその日は朝まで起きたままだった。

 思い出したのは金庫のことである。その金庫は、母親の為に買ったものだった。浜田の母親は40歳の夏に病気になり足が不自由になっていた。父親は船乗りで年に2ヶ月くらいしか帰ってこない。そこで中学生だった二郎は、家の大事な書類を保管するために通信販売でみかん箱くらいの金庫を買ったのである。

 その金庫は、ダイヤルで開く仕組みになっていた。二郎が高校生の時までは、いつもその金庫を利用していたのでダイヤルの番号は暗記していた。しかし、大学に通い始め実家を出てからは、ダイヤルの番号どころか金庫の存在すら忘れてしまったのだ。そのまま20年、母親が65歳になった時に二郎は田舎を離れ都会に所帯を持っていた。船乗りだった父親も65歳になり定年を迎え、四六時中家に居るようになった。

 二郎が眠れず迎えた朝にさっそく実家に電話を入れてみた。

「おやじ、家に金庫があったよね。あれ、どうなった。」
「あれか、何回か開けようとおもったんじゃが、番号が分からんじゃが。番号は何番か知らんか?。」

 思い出せるはずがない。

「忘れたなー。まあ、ええわ、おやじ、今は都会では金庫を1万円くらいで開けてくれる金庫開けのサービスがなんぼでもあるから、今度実家に車で帰った時に金庫もっていくわ。それよか、家の権利証なんかは別に持ってるやろな。」
「大事か書類は、手もとにあるから心配するな。あの金庫はもう要らんから番号が分かったら中古屋にでも売ろうかと思とるんじゃ。」

 開かない金庫、実に気持ちが悪い。

 その夜、二郎は案の定夢を見た。金庫の中に、小さな赤子が入っていてミイラになっている夢だ。また、ガバっと起きてしまった。

「今年の正月は家に帰って、金庫開けサービスにでも持っていこう。」

 二郎は自分にそう言い聞かせることで、忘れられ20年以上も置いてきぼりになっているだろう金庫の中身に懺悔した。しかも、両親に迷惑をかけるような何か大切なものを入れていたのようで胸騒ぎがして、気になって気になって仕方なかった。

 仕事納めは12月28日だった。12月29日二郎は700km先の実家まで車で向かった。普段は車に乗らない二郎であるが、高速道路の運転だけはとても好きであった。ただ、二郎の嫁はイベント会社に勤めており年末の年越しパーティの世話人になっていたので今回は二郎一人だけで帰ることになった。

「居眠りしないようにね、途中のサービスエリアで何回も休むのよ。」
「分かった。」

 それが、二郎と嫁が最後に交わした会話だった。

 二郎は、瀬戸内自動車に入ったすぐの地点で大事故を起こしたのだ。氷雨が降っていた。時速140kmで飛ばして、タイヤがスリップしてしまったのだ。くるくると回転し、ようやく止まった所に、大型のダンプカーが乗り上げるようにぶつかってきたのである。車は炎上しなかったのが、ダンプカーの運転手が両足骨折するほどの事故だった。ダンプの運転手はそれでもなんとか命はとりとめることができた。でも二郎は、もろにダンプカーの直撃を受け全身打撲で帰らぬ人となったのだ。

 警察は、二郎の持っていた免許証の現住所に電話をかけた。イベント会社の嫁は泊り込みで仕事をしていたので連絡が取れなかった。そこで、四国の本籍地に電話をしたのだ。

 二郎の父親が出た。父親は事故の知らせにびっくりして。すぐに近所の親戚の車で二郎の遺体のある警察署まで向かった。父親は警察署から二郎の遺体を引き取った。

 父親は遺体と一緒に家に帰ってきた。
 帰ると母親が放心状態で玄関先にうずくまっていた。

「金庫なんかどうでもよかったのに。金庫金庫言うて、無理して帰ってこんでもよかったのじゃが。」

 父親は年老いた自分よりも先に逝った息子に嘆いた。

 さて、物語はこれで終わりではなかった。遺留品の中に車のナンバープレートがあったのだ。警察署で廃車手続きをとってくださいと後から車検証といっしょに渡されたのだ。そのナンバープレートはひしゃげて、金属が強くこすれた後が残っていた。

 そらから、金庫が開いたのだ。二郎が強く開けたい開けたいと思っていたので、父親が金庫開けサービスをわざわざ都会から呼んで開けてもらったのだ。何か重要なものがあったかもしれないと思い。

 そこで、奇妙なことが2つ起こった。ひとつは、ダイヤルの番号が二郎の事故車のナンバープレートの番号と一致していたことと、もうひとつは金庫の中にはたった1枚の紙しか入っていなかったことだった。

 金庫とはいえ、20年以上も前の紙である。古びてかさかさになっていた。でも、その紙には確かに二郎の筆跡の文字が残っていたのだ。

「お母さん、お父さん、先立つ不幸をお許し下さい。」と。

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 今日は稲川純二さんのトラックバックに挑戦してみました。ひえじごですが、怖い話は大好きです。でも今まで一番怖かったのは、やっぱり鷲羽山ハイランドスカイサイクルでしょう。これに勝る恐怖体験は未だかつてありません。このスカイサイクルで怪我人が出ていないのが不思議なくらいです。本当に死ぬかと思いました。

 警察に知れたら、捜査が入るくらい怖いです。これに比べると絶叫マシーンなど屁のようなもんです。

 ただもちろん稲川純二さんの「生き人形」の話には負けます。

以下追加!2005年1月20日(木)

しゃて、その後であるが・・・・・・

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祝!優秀賞受賞!と自分で叫ぶのもなんですが、この「開いた金庫」関連の私のブログは以下の通りです。

 ①初入選!優秀作に選ばれる!今回の受賞の喜びを綴っています。

 ②トラック野郎からのトラックバック 稲川さんのサイン本を紹介しています。

 ③初○○!トラックバック★野郎 トラックバック野郎にトラックバックしたら傑作選に選ばれました。

以上、取り急ぎご報告まで(ってだからにぃー!)

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コメント

wakerinさんこんにちは

たしかに、ジェットコースターも怖かったです。

 多分東京や大阪の人は、鷲羽山ハイランド?なんやそれとなるかもしれません。

 しかし、他の大きな遊園地では絶対に味わえない演出されていない天然の恐怖を感じます。あれが演出だったら、経営者はほんと天才だと思います。ほんま死ぬかと思いました。

 岡山の天気予報のバックで、ピエロのおっさんとお姉さんがスカイサイクルに漕ぎながら、片手を挙げて手を振っていましたが、ワイヤーで命綱つけないと絶対にできないと思います。

 多分怖さは世界一でしょう。

投稿: t-baby | 2004年12月19日 (日) 01時03分

スカイサイクルだけでなく、ジェットコースターも怖かったと思います。
いつ壊れても不思議でない感じで・・・・

投稿: wakerin | 2004年12月18日 (土) 23時39分

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